【武士道 サムライはなぜ、これほど強い精神力をもてたのか】
日本人の真の強さは武士道にあり。神道と仏教を組み合わせた、知行合一の実学が武士道であると理解出来た。日本人を語るのであれば、必須の観念だと思いました。
現代語訳 武士道 (ちくま新書) https://amzn.asia/d/hkr0GfU
●新渡戸稲造がベルギーの法学者と会話していたとき、宗教教育が日本には無いことを伝えると驚きの余り歩みを止められ「子孫にどのように道徳教育を行っているのか」と問われた事がショックだった。封建制と武士道が分からなくては日本の道徳観念は封をしたままの書物同然であると気づいた。
●仏教と神道が武士道に与えたもの。武士道は孔子の教えを源泉としている。武士道では知識のための知識は軽視し、知行合一を基本としている。
●「義」は「勇」と並ぶ武士道の双生児である。義をみてせざるは勇なきけり。勇気とは正しいことをすることである。
●如何にして肚を鍛錬するか。斬首が公衆の面前で行われていた時代には幼い少年たちはその恐ろしい光景を見に行かされた。晒し首に自分の印を付けてくるように言われた。
●勇気の精神的側面は「落ち着き」である。合戦は荒々しい戦闘力の問題だけではなく!当意即妙の応答をしたり、歌合戦をしたり知的な勝負でもあった。
●民を治める者の必要条件は「仁」にあり。武士の情けに内在する仁として、サムライの慈悲がある。それは盲目的衝動ではなく、正義に対する適切な配慮を認めていると言うことを意味している。
●いつでも失わぬ、他人への憐れみの心。
●「礼」人と共に喜び人と共に泣けるか。
●真のサムライは「誠」に高い敬意を払う。誠とは実益のある徳行。
●不名誉は、その人を大きく育てる。武士道が忍耐の極地に達した理由。徳川家康のホトトギスの歌は大きい。
●「忠義」人は何のために死ねるか。武士道では個人よりも国を重んじる。ただ、武士道は良心を主君や国に奴隷として差し出せとは命じなかった。
●行動するサムライの追求した「品性」。武士道の枠組みを支えている3つの脚は「智、仁、勇」それぞれ、知恵、慈悲、勇気を差している。サムライは本質的に行動の人である。
●教える者が知性ではなく品性を、頭脳ではなくその心性を働きかける素材として用いる時、教師の職務はある程度まで聖職的な色彩を帯びる。
●人に勝ち、己に克つために。サムライは感情を顔に出すべからず。
●切腹について。切腹は一つの法制度、儀式典礼である。武士が自らの罪を償い、過去を謝罪し、不名誉を免れ、盟友を救い、自らの誠実さを証明する方法であった。
●介錯をするのはたいていは切腹する者の一族か友人の手によって行われる。この両者は犠牲者と処刑人という関係ではなく、主役と脇役という関係。
●脇差という短刀によって左の腹下を深く突き刺し、次いでゆっくりと右側へと引き、そこで刃の向きを変えてやや上に切り上げる。この凄まじい苦痛に満ちた動作の間顔の筋一つ動かさない。担当を引き抜き、前方に身を傾け、首を差し出す。
●武士道における生きる勇気と死ぬ勇気。あらゆる困難、逆境にも忍耐と高潔な心を持って立ち向かう事が武士道の教え。
●刀は武士の魂であり、忠誠と名誉の象徴。
●一般大衆を惹きつけた武士道の徳目。社会的存在としては武士は一般庶民に対して超越的な地位にあった。しかし道徳の規範を定め、みずからその規範を示すことによって民衆を導いた。
●自己の名誉心。これが日本の発展の原動力。日本人以上に忠誠で愛国的な国民は存在しない。これは武士道による感化が大きい。
●ヨーロッパでの騎士道は封建制度から引き離されるとキリスト教に引き取られ余命を持ち得たが、武士道は封建制度という母から引き離されると孤児となり、自力で進むべき方向を見出す必要があった。
●武士道は一つの独立した道徳の掟としては消滅するかもしれない。しかし、その光と栄誉は、その廃墟を越えて蘇生するに違いない。人生を豊かにする芳香を運んで人間を祝福し続ける。
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